私のソロ公演から2週間が経ちます。今は、来年早々の同じ演目での公演のシンガポール・インドネシアへ向け、体調を整え今週から始る稽古へ向け助走中で す。先ずは終りました公演のご報告を。
11/23・24・25、それぞれ23日の『ウリ・オモニ』から始まり24日『月下咆哮』、楽日の25日には2つ共連続して観て頂けるよう『月下咆哮』 を上演してから3時間置いて『ウリ・オモニ』で締めとした今回の計4回公演は、一人で2つプログラムをこなし楽日には早変わりで2つをしてしまうといっ た、まるで歌舞伎座?の売れ筋ならば藤山直美の客寄せ興業と言ったところ。
しかし私は、マレーシアでのデング熱以来、めっきり暑さには敏感になってしまい、9月のテント公演の8月稽古では熱中症に。おまけに11月に入った当初に胃腸に来る風邪で°38.2の高熱が出て以来ずっと微熱が下らず、そのまま今回の公迎えた。
だから今回の公演ではいつものメール通信を打つことはドクターストップで、公演の日々も胃腸の調子に注視しながらでした。1回づつの公演は、乗り越えられた歓びと感謝の気持ちはひとしおなものがある公演となりました。
それまで公表はしませんでしたが楽日に、大野慶人さんが横浜から駆付けて頂き、アンコールで舞台上で大野一雄先生とそっくりな人形と共に私と一緒に踊っていただく、という私にとってはソロ公演への祝いを勿体ないほどの贅沢な観客にとっては思わぬ嬉しいプレゼント、で終えられました。
駆付けてくださった、大野一雄先生のお心と、慶人先生の舞台空間への素晴らしい踊り、そして4回公演を観に来て頂けた沢山の観客のみなさんと裏方スタッフに支えられ身に余る光栄な公演に出来たと、心から大野一雄先生のように、「ありがとう」を言いたい気持ちです。
そしてソロ公演ならばこその心掛けることに、大野一雄先生の公演時のホール雰囲気、豊かで至福感溢れ静かで質の高い生きていることを祝える心持ちに何故か浸らせて頂け、これぞ芸術としての真の贅沢といったものがホールの其処此処で充ちている、"歓び"というようなものを心掛けたいと思いました。
それが実現できたかどうか・・・
観客からのアンケートに読み取りそして今回お声を直接くださったものにみたり、とこればかりは観てくださったみなさんによって決められること、演じ手はまな板の鯉でしかありません。
幸いにも今回は中々観客のみなさんの反応を外に出て見れないもどかしさの中、初日のウリでは、毎日テレビのHさんが私にどうしても一言伝えたいと残っていてくださり「今回の作品、めっちゃ、楽しませて頂きました!」と、これまでのこの作品にはない意外な反応を頂けました。それ以来今回は-目覚めの庭- が評判が良く聞け、後日別冊宝島の取材の為メタモルに来られたTさんにも「本当に楽しそうに笑っていましたね。なんであんな風に赤子になれるんですか?」と真っ正面から聞かれ、返答に困惑するほどでした。
月下ではウィングの経営者の福本さんは「大野一雄さんの面影が、そこに、ありました」と、先出のTさんも「あの座り姿は、ダンスの技法では?」と、両氏共-男装の魔女-への言及があり、大野一雄先生の姿を彷彿、なんてまだまだなのに有り難すぎるお言葉に身が縮み上がりました。 そしてメールで一週間後にNHKきんきメディアプランのSさんからは丁寧なあり難いご感想が届けられる、といったそう言った今回の公演への手応えを2週間掛けながら徐々に私の手元へ届けられることによって、ようやく私にとっても今回の公演を行なえて本当に良かった、と
心から何度言っても良い足りない感謝の気持ちが溢れています。
これまでどちらかといえば掴むのに苦労のいったシーンへ、今回のような言及が及ぶのは、私としては非常に嬉しくあり難いことです。
舞台に立ち表現でることの有難さを、私は今年の3~4月のマレーシアでのデング熱で、当日ホール入りし舞台に立てて以来胸に染みて感じるようになりました。何かそれからというもの自分にとって、表現に対する姿勢も変化したのではないか、それが私自身の歓びとなってくれているのならば、芸術と人生にとって一番大切なものを怪我の功名で掴ませてもらえたのかも知れません。
またのソロの新作作成へ向け、今回の公演が次のステップへと、進ませてくれる気がしております。
今後とも、宜しくお願い致します。---'07.12.4(火)